圓福寺
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圓福寺『高輪墓苑』
販売オフィス
(株)川眞田石材
0120-195-148
[受付時間/am9:00〜pm5:00]
圓福寺について
約250年の歴史をもつ曹洞禅宗「圓福寺」。
現在の港区高輪に圓福寺が建立・開寺されたのは、今から約250年前の江戸時代中期といわれています。古い資料は、約150年前安政年間からの過去帳だけですが、墓地・墓石は当時のものがまだ墓地内に残っています。明治以降、寺地内には大学へ通う修行者の寮もあり、多くの人が育っていきました。これも圓福寺の地縁を物語る話です。
また、東京元赤坂の「豊川稲荷(圓福山妙厳寺)」とは、同じ曹洞宗の寺院ということでたいへん縁が深く、圓福寺の現住職も、福井県の曹洞宗大本山「永平寺」などで修行し現在に至っています。
「新設の墓苑で、新しい歴史を築いていきたいですね」
圓福寺 第22代住職・長谷川文俊
「高輪台は、昔から大名屋敷が多かったといわれていますが、寺町でもありました。圓福寺は、明治の頃と今の寺地の広さはほとんど変わりませんし、今まで檀家の数もそのままにしてきました。曹洞宗は禅宗で質素を重んじていますから。今回の新しい墓苑にしても、壇信徒になっていただく方の寄附などは一切ありません。墓苑販売後、新本堂および寺院内の施設・設備を整えて、高輪にふさわしい落ち着いた雰囲気の寺院にしたいと考えています。新設の墓苑を大きなひとつの転機として、新しい圓福寺の歴史をこれから築いていきたいですね。」
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鎌倉時代に道元禅師が日本に伝えた「曹洞宗」とは。
伝   統:
日本開宗:
大 本 山:
お釈迦様より歴代の祖師方が相続されてきた正伝の仏法です。
約800年前、高祖道元禅師が中国から日本に伝えた禅宗です。
福井県「永平寺」(高祖道元禅師さま御開山)
横浜市「總持寺」(太祖瑩山禅師さま御開山)
教義(抜粋):ひとたび仏さまに懺悔し帰依するならば、心が落ち着いておのずから生活がととのえられて明るく社会のお役に立つことを喜び、どんな苦難にも耐えて生き抜こうとする信念が生まれます。そこに生きがいと幸福とを発見するのが曹洞宗の教えです。
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圓福寺と縁が深い曹洞宗妙厳寺「豊川稲荷」とは。
豊川稲荷は日本三大稲荷のひとつで正式名称は曹洞宗妙厳寺といいます。1441(嘉吉元)年に東海義易禅師が、愛知県豊川近くの「円福ヶ丘」に妙厳寺を開いた際に、鎮守として豊川荼吉尼眞天(豊川稲荷)を祀ったのが始まり。今川義元、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの武将の信仰を集めたといわれています。いなり寿司のルーツというエピソードも。
現在東京元赤坂にある曹洞宗「豊川稲荷(圓福山妙厳寺)」は、愛知県豊川市「豊川稲荷」の別院ということです。
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「高輪」。その歴史が語る、地名の由来。
「土地往還の繩手道にして頗る高き所なれば高輪と称せり」(武蔵風土記)。往還とは行き来、その道のこと。繩手道とは高みから縄を引いたようなまっすぐに伸びた畦道。村の中心となる直線の村道が高いところにあったので高繩手の「高繩」が変化して「高輪」になったという地名の由来説です。 「高塙」という由来説もあります。地形的に塙は山などの突き出た台地の端という意味です。高輪は高低差のある町域で、繩手道は現在の聖坂から高輪プリンスホテル裏を経て品川駅前に抜ける道だと思われます。 柘榴坂や伊皿子坂、桂坂など、古くから名前のある坂が随所で見られ、至るところで高輪の風情を感じることができます。
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